銘竿の系譜

枯法師物語 その2

五代目、六代目と続いた「枯法師」は円熟の域に。

 前回、初代「枯法師」が生まれた時の衝撃、そして二代目、三代目、四代目へと進化してきた過程を解説していただいたのは浜田優。キャリアと実績において他の追随を許さない氏の解説はすべてに生々しく「さすが」と我々を感嘆させた。まさに「近代へらぶな釣りの伝道師」と呼んでも決して誇張ではない薀蓄であった。

 「枯法師」はその後、五代目、六代目と作り継がれていったが、魚の引きを掌で感じ、美しい竿の曲りを見て楽しみながらゆったりとした時間を過ための道具という軸はいっさいブレていない。貫いてきたのはへら竿の本道を貫く正統派中硬本調子というコンセプトだった。和竿調の外観にこだわってきたのも、見て愉しむ「釣り味」も追い求めてきたからである。

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↑五代目・六代目について生井澤テスターが熱く語ってくれた

・エポックとなった五代目

 そして「枯法師」は2006年に五代目の誕生を見たが、ここがひとつのエポックとなった。それは現代カーボンへら竿に革命をもたらした新らたな設計手法「株理論」が搭載されたことが一つ。そしてもう一つは生井澤聡という新たなテスターが加わったことである。

五代目外観.png五代目握り.png

↑枯法師の転換期となった五代目        ↑五代目の握りは現在の形状の基礎となった

 「株理論」の基礎となるノウハウを元に五代目「枯法師」の監修者となったのは竿師「竹道」こと細谷徹氏だったが、生井澤聡はその性能を実釣で証明し、釣り師側のイメージを伝え、その精度を上げるテスターとして五代目開発に大きく貢献した。

 実は生井澤は初代の「枯法師」を持っていたという。初代が生まれたのは1985年。生井澤は1973年生まれだから12歳ごろのことだ。ちなみに生井澤は5歳からへらぶな釣りに親しんでいた。

「確か12尺ぐらいだったと思いますが、父からのプレゼントでもらった宝物だったんです」と生井澤は懐かしそうに語った。

「すでに握りとか竿袋とか、他の竿とは全然違うなと子供心に感じました」と35年前の印象も披露してくれた。

続けて生井澤は、五代目をテストしていた当時の思い出を語ってくれた。

 「すでに曲りの美しさには定評があった歴代の枯法師ですが、五代目はそこからさらに一歩踏み込んでアール、つまり株理論に即した曲りの美しさに挑戦した作品でした。つまり一本一本原点に返って、尺ごとにバランスすべを見直したのが五代目なんです。

五代目はその頃のダイワの竿作りの技術、ノウハウを惜しげもなく投入した最高傑作でした。当時はカーボン竿で節ごとのアールをそこまで意識したものはなかったと思います。

主役は穂先から徐々に曲がりの最大曲点がスムーズに移動するという『株理論』。今もなお燦然と光を放つその技術はいささかも色あせず、へら竿の根幹を成しています。

 ダイワの技術陣ともお互いに切磋琢磨して何度もバランスを追求しました。夜遅くまで語り合いましたよ、懐かしいですね。その結果出来上がったのが、どちらかといえば、枯法師としては大型にも対応できる張り感を持った五代目だったのです」

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↑開発風景を収めた当時のカタログ

 五代目は勿論、中硬本調子に分類されるしなやかな竿でしたが、開発当時は椎の木湖に代表されるように各釣り場の大型べらが話題になる時代でした。

なので、五代目はカーボンらしいシャンとした張りを手元部に少しだけ持たせたモデルです。

五代目から枯法師のこだわりの段塗のデザインも大きく変わりましたね。

凄く洗練されていて、段塗部にはモルフォ蝶の羽色と同じような青紫の色合いが加えられていますし、竿袋も鮫小紋柄のものが奢られていて、今となってはそれが枯法師柄みたいになっていますね。

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↑段塗パターンも大きく飛躍          ↑今や枯法師柄ともいわれる竿袋(手前:六代目、奥:五代目)

 そして生井澤はこう続けた。

 「五代目の開発に参加させていただいて、僕のへら竿に関するノウハウもずいぶん磨かれました。ダイワの技術陣と親方の竹道師匠がいたからです」

 いうまでもなくそのノウハウは次の六代目に磨き、受け継がれ、生かされるのだった。

・洗練された調子と使用感を得た六代目

 五代目から7年の月日を経た2013年に六代目は誕生した。それまで枯法師はおおよそ5年のサイクルでモデルチェンジを繰り返していたが、このモデルの完成には更に2年の熟成期間を要した。やはり細谷氏の監修のもとに、生井澤もテスターとして関与した。五代目製作の経験とその後の数々のへら竿開発にも携わることで、へら竿造りのノウハウを高めた生井澤だけに、その関与の度合いはさらに深くなった。

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↑理想の弧、継いで綺麗な段塗りデザインへのこだわりは尽きない

 「五代目の時は和竿の仕立て方に沿って、株理論をいかにカーボンに置き換えて実現するか?に注力していましたが、六代目は和竿の仕立ての株理論にダイワのカーボン成型テクノロジーを融合させることで、これまでにないへら竿となりました。

 結果として六代目は五代目よりも若干しなやかでありながら、実際に手にすると洗練されてシャープな使用感を得られる竿となりました。」

実際当時のカタログを見返すと、株理論の理想の弧を実現するための新たなテクノロジー要素として、Xトルク(現在はX45と表記)や先径0.8mmの極細チューブラー穂先などが加わっている。

六代目穂先.png

↑先径0.8mmの極細チューブラーが六代目の武器

その効果について生井澤は、

 「六代目は釣味を楽しむ竿でありながら、大型べらをタナを崩さず浮かせることができる竿なんですが、イメージとしては単に硬さで浮かせるのではなく、へらぶなをしなやかさと粘り、株理論のスムーズな曲がりでイナして浮かせる、という感じです」

 ......しなやかさでへらぶなをイナして浮かせる......永年の野釣りの経験から、巨べらのあしらい方を知り尽くしている生井澤だから創り上げることができたイメージだろう。ことさらその能力をひけらかすことはなかったが「六代目」は当時の管理釣り場の大型べらにもいささかも屈することはなく、ダイワへらマスターズのウイナーズロッドとしても使用されている。

 そして生井澤は続けた。

 「そんな意味では『枯法師』は時代時代のへらぶな釣りを反映して生まれたと言えますが、和竿調の段塗りデザインの外観にはこだわりは継承されています。それは五代目から六代目でも同じです。質実剛健な感じのする五代目に比べて、六代目は少し華やかな感じがするディテールとなっているのも魅力ですね。

それは良質竹をイメージした竹地と、染みの付け方や、握りの彩、そして美しく見える段塗のバランスどりなどに表れています。

竹竿の文化が残っているへらぶな釣りだけに見ているだけで陶然とする枯法師の雰囲気はどれも捨てがたいですね」

六代目竹地.png六代目握り.png

↑竹地のリアルな染みは六代目の特徴       ↑握りは五代目をベースとしながら華やかに

 2013年に登場した六代目を手にしながらこうまとめてくれた生井澤。

枯法師を愛するへら師の代表としてその想いの大きさを十分に感じる内容であった。

六代目継部.JPG六代目上栓2.jpg

↑見えなくなる竿尻にもこだわりの造り      ↑竹地にこだわった上栓にレーザー彫刻加工

(以下次号)

銘竿の系譜

枯法師物語 その1

歴史と伝統はいかに継承されたのか。

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↑初代~天成の歴代枯法師と当時の広告原稿

「枯淡の境地へ」

このキャッチフレーズを伴って「初代・枯法師」がこの世に生まれたのが1985年。

実に36年前、昭和60年のことである。まだ生まれていないへらぶな釣りファンも多いことだろう。

 釣果のみを追い求めず、大自然の中で一枚のヘラブナと対峙する至福を享受する。それが「枯法師」。その発想は、それまで顧みられることがなかった釣り味という満足を釣り人に提案した。和竿を髣髴とさせる意匠がその悦びを増幅させた。

 つまり、魚の引きを掌で感じ、美しい竿の曲りを見て楽しみながらゆったりとした時間を過ごす。そのための道具。それが「枯法師」の基本的な考えだった。

 以来「枯法師」は伝統を守りつつ時代とともに進化を重ねてきた。貫いてきたのはへら竿の本道を貫く正統派中硬本調子。その軸を揺らすことなく変遷を重ねてきた。「枯法師」が歩んできた道はまさに近代へら鮒釣りの歴史ともいえる。

 これだけの長い年月、愛され続けてきたへら竿は稀有である。そこにはどんな秘密が隠されているのか。2021年も終わろうとするいま、ふとその歴史をひも解いてみたくなった。

・若き日の浜田優が惚れた初代枯法師

 前述のように「初代・枯法師」が生まれたのは1985年。阪神が初の日本一になった年である。世間ではファミコンが大流行し、はやり言葉は「ヤリガイ」や「カエルコール」。ヒット曲は小泉今日子の「なんてったってアイドル」...・・・それが1985年だった。

 そんな年に生まれた「枯法師」にいきなり惚れた男がいた。その後ダイワへらマスターズを5回制覇し「カリスマ」と呼ばれるようになった浜田優である。

 当時浜田は30台半ばの男盛り。へらぶな釣りの世界でもすでに群を抜く活躍を繰り広げていた。

浜田は第1回へらマスターズでも「枯法師」を使った記憶があるという。つまり浜田の釣り人生は「枯法師」とともに歩んできたと言えるのだ。

 今回、枯法師の歴史を振り返るにあたり、とくに初代から4代目辺りまでの語り部として浜田ほどの適任者はいない。ということで浜田に過去の「枯法師」を語ってもらった。

 浜田は当時を思い起こし、懐かしそうに語り始めた。

 「36年前というと管理釣り場の黎明期で、旧幸手園などが隆盛を極め始めていました。それまでは野釣りの練習場としての釣堀があったわけですが、管理釣り場の出現で釣りのメインステージが徐々にそっちに移りつつあった頃です。

 第一回ダイワへらマスターズが行われたのがその直後です。私は筑波白水湖で行われたその試合で『初代・枯法師』を使った記憶があります。

 『初代・枯法師』が出る前に、やはりダイワから『アモルファスウィスカー・ザ・ヘラ』という竿が出まして、その軽さに衝撃を受けたものですが『初代・枯法師』はさらに大きなインパクトを与えてくれました。もちろん『初代』にもその新素材が採用されていました。

 『初代・枯法師』は和竿の雰囲気を持つ細身、軽量の本調子の竿で、その品の良さ、高級感、釣り味の良さは特筆ものでした。にもかかわらずしっかりしたパワーも備えていたので、トーナメントでも使用したわけです。とくに振り込みとタメに重点を置いて設計されていたので、すぐに気に入りました。竹竿も使っていた私ですから、和竿調の渋い外観も感性に訴えるものがあったのです。

 この年から『枯法師』は私のへらぶな釣り人生の中心に存在していました。

 当時は『枯法師』との関係がここまで長く続くとは予想できませんでしたが、最新技術で作られた和竿の雰囲気を持つ本調子の竿は多くのファンに支持されました。ですからそのコンセプトは今後のへら竿の流れとして生き続けるとは思いました」

後に聞いたところでは、わざわざ枯法師設計のために専任の設計者が任命され、当時の和竿職人の仕事場に通って竿造りを教わったそうです。

当時のダイワにとっても特別な竿として開発されたものだったんですね。

 浜田は初代に関して、このように言及してくれた。

「初代枯法師」

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↑糸巻きにもこだわりが感じられる握り   ↑竹地、段塗の質感を追究し、当時からツヤ消し塗装が施されている

・強さを携えた二代目枯法師

 「枯法師」はその後、1991年に二代目、1997年に三代目、そして2001年に四代目の「天成」が生まれた。いずれもそれぞれの時代に於ける最先端素材、技術を駆使し、変わりつつある釣り環境に対応した機能を備えていたのはいうまでもない。

初代に惚れた浜田はその後も「枯法師」を使い続けた。

 「6年後に二代目が出ましたが、記憶している限りでは基本的な調子は変わりませんが、短尺は少し硬めになりました。強い竿が求められた時代を反映した結果だと思います。そして長尺はより細身化、軽量化が実現されています。外観も初代の路線を踏襲していますが、竹地は染み付け加工になり、段巻の部分には赤い研ぎ出しが配されていました。握りの素材はウールの糸になったのが新鮮でしたね。

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↑二代目枯法師の広告原稿。そのシルエットからも若き日の浜田と分かる釣姿

「二代目 枯法師」

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↑ウール素材の糸をブレーディングした握り  ↑段塗部には手作業で赤の研ぎ出しの意匠が施された。

・新素材が導入された三代目枯法師

 三代目は二代目で少し硬い印象が強かったので少し先調子でしなやかに寄った印象があります。レジン(樹脂)量を限界まで減らした超高密度SVFカーボン素材を採用したことにより、凄くシャープになった印象があります。竹地の筋や染みもよりリアルさを増しました。

いずれにせよこの頃になると、『枯法師』は発売されるたびに評判になりましたね。ヘラ竿の最高級ブランドとして定着した感もあります。

「三代目 枯法師」

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↑シメ部の螺鈿風の意匠が三代目の特徴    ↑竹地のリアルさが増し、段塗部には透け漆風の線入れが入る。

・こだわりの造りが光る枯法師 天成

ガラッと変わったのは四代目の天成です。それまでの『枯法師』と比較して、ブランクスの造りが異なり、和竿のような少しテーパーが強めの竿に変わったと記憶しています。特筆されるのはVジョイントが新採用されたこと。その結果、込みも抜群に良くなったし、へらぶなとのやり取りがかなりスムーズになりました。外観的には握り上の斜め造り節が特徴ですが、他にも五部の部分の研ぎ出し、段塗部には芽の跡をイメージした凸凹など、徹底的なこだわりにより、フラグシップとしての風格を感じるようになりました。どの竿もへらぶなが掛かったら、一度矯めてから浮かせる竿という調子は一貫していましたね。その方が力任せに引くより取り込みが早いんですよね。

この頃からトーナメントが一段と先鋭化し、競技向きの短竿が脚光を浴びましたが、なぜか『枯法師』はそんな中にあって、少しも色あせることはありませんでした。その理由は『枯法師』がトーナメントの釣りの対極にある世界を味あわせてくれたこと、そして実はトーナメントでも偉大なる戦力になることを証明してきたからです」

「枯法師 天成」

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↑四代目の特徴である斜め造節         ↑五部の部分の研ぎ出し

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↑よく見ると塗装部に凸凹がある。芽を埋めた後に糸巻きし、漆を厚塗りした後での芽の跡をリアルに表現。このこだわりが枯法師の真骨頂。

こうして浜田が解説したくれたように、「枯法師」は和竿の雰囲気を持つ中硬本調子という軸を守りつつ、それぞれの時代における最先端素材・技術を惜しげもなく投入して製作されてきた。すべてが時代を反映した作品であったことはいうまでもない。

そして「枯法師」はへら竿のさらなる高みを目指して、五代目六代目へと作り継がれていくのだった。(次回に続く)

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