銘竿の系譜
枯法師物語 その1
歴史と伝統はいかに継承されたのか。
↑初代~天成の歴代枯法師と当時の広告原稿
「枯淡の境地へ」
このキャッチフレーズを伴って「初代・枯法師」がこの世に生まれたのが1985年。
実に36年前、昭和60年のことである。まだ生まれていないへらぶな釣りファンも多いことだろう。
釣果のみを追い求めず、大自然の中で一枚のヘラブナと対峙する至福を享受する。それが「枯法師」。その発想は、それまで顧みられることがなかった釣り味という満足を釣り人に提案した。和竿を髣髴とさせる意匠がその悦びを増幅させた。
つまり、魚の引きを掌で感じ、美しい竿の曲りを見て楽しみながらゆったりとした時間を過ごす。そのための道具。それが「枯法師」の基本的な考えだった。
以来「枯法師」は伝統を守りつつ時代とともに進化を重ねてきた。貫いてきたのはへら竿の本道を貫く正統派中硬本調子。その軸を揺らすことなく変遷を重ねてきた。「枯法師」が歩んできた道はまさに近代へら鮒釣りの歴史ともいえる。
これだけの長い年月、愛され続けてきたへら竿は稀有である。そこにはどんな秘密が隠されているのか。2021年も終わろうとするいま、ふとその歴史をひも解いてみたくなった。
・若き日の浜田優が惚れた初代枯法師
前述のように「初代・枯法師」が生まれたのは1985年。阪神が初の日本一になった年である。世間ではファミコンが大流行し、はやり言葉は「ヤリガイ」や「カエルコール」。ヒット曲は小泉今日子の「なんてったってアイドル」...・・・それが1985年だった。
そんな年に生まれた「枯法師」にいきなり惚れた男がいた。その後ダイワへらマスターズを5回制覇し「カリスマ」と呼ばれるようになった浜田優である。
当時浜田は30台半ばの男盛り。へらぶな釣りの世界でもすでに群を抜く活躍を繰り広げていた。
浜田は第1回へらマスターズでも「枯法師」を使った記憶があるという。つまり浜田の釣り人生は「枯法師」とともに歩んできたと言えるのだ。
今回、枯法師の歴史を振り返るにあたり、とくに初代から4代目辺りまでの語り部として浜田ほどの適任者はいない。ということで浜田に過去の「枯法師」を語ってもらった。
浜田は当時を思い起こし、懐かしそうに語り始めた。
「36年前というと管理釣り場の黎明期で、旧幸手園などが隆盛を極め始めていました。それまでは野釣りの練習場としての釣堀があったわけですが、管理釣り場の出現で釣りのメインステージが徐々にそっちに移りつつあった頃です。
第一回ダイワへらマスターズが行われたのがその直後です。私は筑波白水湖で行われたその試合で『初代・枯法師』を使った記憶があります。
『初代・枯法師』が出る前に、やはりダイワから『アモルファスウィスカー・ザ・ヘラ』という竿が出まして、その軽さに衝撃を受けたものですが『初代・枯法師』はさらに大きなインパクトを与えてくれました。もちろん『初代』にもその新素材が採用されていました。
『初代・枯法師』は和竿の雰囲気を持つ細身、軽量の本調子の竿で、その品の良さ、高級感、釣り味の良さは特筆ものでした。にもかかわらずしっかりしたパワーも備えていたので、トーナメントでも使用したわけです。とくに振り込みとタメに重点を置いて設計されていたので、すぐに気に入りました。竹竿も使っていた私ですから、和竿調の渋い外観も感性に訴えるものがあったのです。
この年から『枯法師』は私のへらぶな釣り人生の中心に存在していました。
当時は『枯法師』との関係がここまで長く続くとは予想できませんでしたが、最新技術で作られた和竿の雰囲気を持つ本調子の竿は多くのファンに支持されました。ですからそのコンセプトは今後のへら竿の流れとして生き続けるとは思いました」
後に聞いたところでは、わざわざ枯法師設計のために専任の設計者が任命され、当時の和竿職人の仕事場に通って竿造りを教わったそうです。
当時のダイワにとっても特別な竿として開発されたものだったんですね。
浜田は初代に関して、このように言及してくれた。
「初代枯法師」
↑糸巻きにもこだわりが感じられる握り ↑竹地、段塗の質感を追究し、当時からツヤ消し塗装が施されている
・強さを携えた二代目枯法師
「枯法師」はその後、1991年に二代目、1997年に三代目、そして2001年に四代目の「天成」が生まれた。いずれもそれぞれの時代に於ける最先端素材、技術を駆使し、変わりつつある釣り環境に対応した機能を備えていたのはいうまでもない。
初代に惚れた浜田はその後も「枯法師」を使い続けた。
「6年後に二代目が出ましたが、記憶している限りでは基本的な調子は変わりませんが、短尺は少し硬めになりました。強い竿が求められた時代を反映した結果だと思います。そして長尺はより細身化、軽量化が実現されています。外観も初代の路線を踏襲していますが、竹地は染み付け加工になり、段巻の部分には赤い研ぎ出しが配されていました。握りの素材はウールの糸になったのが新鮮でしたね。
↑二代目枯法師の広告原稿。そのシルエットからも若き日の浜田と分かる釣姿
「二代目 枯法師」
↑ウール素材の糸をブレーディングした握り ↑段塗部には手作業で赤の研ぎ出しの意匠が施された。
・新素材が導入された三代目枯法師
三代目は二代目で少し硬い印象が強かったので少し先調子でしなやかに寄った印象があります。レジン(樹脂)量を限界まで減らした超高密度SVFカーボン素材を採用したことにより、凄くシャープになった印象があります。竹地の筋や染みもよりリアルさを増しました。
いずれにせよこの頃になると、『枯法師』は発売されるたびに評判になりましたね。ヘラ竿の最高級ブランドとして定着した感もあります。
「三代目 枯法師」
↑シメ部の螺鈿風の意匠が三代目の特徴 ↑竹地のリアルさが増し、段塗部には透け漆風の線入れが入る。
・こだわりの造りが光る枯法師 天成
ガラッと変わったのは四代目の天成です。それまでの『枯法師』と比較して、ブランクスの造りが異なり、和竿のような少しテーパーが強めの竿に変わったと記憶しています。特筆されるのはVジョイントが新採用されたこと。その結果、込みも抜群に良くなったし、へらぶなとのやり取りがかなりスムーズになりました。外観的には握り上の斜め造り節が特徴ですが、他にも五部の部分の研ぎ出し、段塗部には芽の跡をイメージした凸凹など、徹底的なこだわりにより、フラグシップとしての風格を感じるようになりました。どの竿もへらぶなが掛かったら、一度矯めてから浮かせる竿という調子は一貫していましたね。その方が力任せに引くより取り込みが早いんですよね。
この頃からトーナメントが一段と先鋭化し、競技向きの短竿が脚光を浴びましたが、なぜか『枯法師』はそんな中にあって、少しも色あせることはありませんでした。その理由は『枯法師』がトーナメントの釣りの対極にある世界を味あわせてくれたこと、そして実はトーナメントでも偉大なる戦力になることを証明してきたからです」
「枯法師 天成」
↑四代目の特徴である斜め造節 ↑五部の部分の研ぎ出し
↑よく見ると塗装部に凸凹がある。芽を埋めた後に糸巻きし、漆を厚塗りした後での芽の跡をリアルに表現。このこだわりが枯法師の真骨頂。
こうして浜田が解説したくれたように、「枯法師」は和竿の雰囲気を持つ中硬本調子という軸を守りつつ、それぞれの時代における最先端素材・技術を惜しげもなく投入して製作されてきた。すべてが時代を反映した作品であったことはいうまでもない。
そして「枯法師」はへら竿のさらなる高みを目指して、五代目六代目へと作り継がれていくのだった。(次回に続く)