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3.本当に眼がいいのか?

最近疑問に思うことが多々ある。例えば柴犬で5歳半になる我が家の愛犬である。散歩したり、一緒にベランダで遊んだりすると、一般に学説的に言われているような「犬は弱視」というイメージはなく、ボクたちの考えている以上にものは見えていると思える行動をよくとる。例えば50〜80mぐらい先に犬やネコがいることを見抜いて攻撃態勢に入るし、夕刻のかなり薄暗い中でも投げた犬用の玩具を空中でキャッチしたりする。

もちろん嗅覚や聴覚といった他の感覚器官も同時に働かせての行動だろうが、視覚的にきちんと認識できているような行動をよくとるのだ。それと同じで、サカナも極端な近視であるとか、色盲であるとか言われているが、本当に言われているほど眼が悪いのだろうか?

1)メバルが目の前で付けエサを喰った

何年か前に、磯のウキフカセ釣りの仕掛けにサカナたちがどのように反応するかを観察したときのことである。そのとき、ボクの目の前で30cmぐらいの良型メバルがその仕掛けについていたオキアミを喰ったのだ。そのときのことは今でも克明に思い出せる。

緩やかな潮が流れていて、ウキのついた仕掛けはゆっくりと流れていた。仕掛けは、観察しやすいように、ハリス5号、ハリは金グレの13号、そこに大きなオキアミを付けエサとして付けた。まるでヒラマサでもねらうかのような仕掛けである。だから、まさかサカナが実際に喰うとは思ってもみなかったのだ。

仕掛けの流れと一緒にボクもゆっくりと潮下側に流されていた。海底からは3mほどのところにさしかかった。そのとき、1尾の良型メバルが付けエサのオキアミを見つけた。

スーッと寄ってきた。そのメバルは、付けエサを目の前にして一度止まり、エサを凝視した。

「こりゃぁいい場面だ。メバルは喰うか、それともこの太いハリスに不自然さを感じて喰うのをやめるか」

ボクの好奇心も全開である。そのとき、まさかと思える行動にそのメバルは出た。こともあろうに、フッとそのエサを吸い込んだのだ。ところがさらにこの先面白いことが起きた。エサを口の中に入れたメバルは、5秒ほどその場にとどまった。そして次の瞬間、何かヤバイものを口に入れたと感じ、眼はうつろになり、大きな口が裏返るかと思えるほど大きく開けて口の中のものを吐き出した。そのメバルは、エサに未練を残しつつも、また海底のほうに戻っていってしまった。あとは半分千切れて金バリのむき出しになった太いハリスのついた付けエサが流れていた。

2)メバルの眼力

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メバルは、他のサカナと比較して眼が大きい。眼が大きく発達することは、必ず視覚にウエイトを置いた生活をしているからなのだ。ということは、メバルは眼がいいと考えていいはずである。

この一連のメバルの行動から考えると、まずひとつ、メバルはやはり眼がいいと言える。それは流れてきたオキアミをいち早く見つけ、行動に出たことから言える。そもそも眼が大きい生き物というのは、薄暗い中でも視覚として認識するために眼が大きいというものがほとんど。例えばメガネザルやフクロウといった生き物は、薄暗い中で行動する際に敵を見つけたり、獲物を見つけたりするために眼が発達し、大きくなったと考えられている。

カメラのレンズにおいても、性能のいいレンズを開発しようとすれば、レンズの口径の大きなもののほうが作りやすい。だからスポーツ撮影の望遠レンズなどは、選手のすばやい動きをきちんと撮影するためにバズーカ砲のようなレンズとなるのである。

このような理屈から考えても、メバルのようにほかのサカナに比べて眼の大きなサカナは、普段の行動の際に視覚を大いに使っている種であることは間違いない。

3)ハリスが見えるのか?

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おそらくメバルにはハリスはなんらかの形で見えているはずである。だが、そのことが自分に危険が及ぶという認識にはつながっていないとボクは考えている。ただ危機感覚はつねに持っていて、えさに違和感を感じてはきだしたのだろう。
ただ、ときどきサカナたちは、ハリスがはっきりと見えていて、それを嫌うような行動をとる。ボクが見たのは、シマアジが漂うコマセは喰うのに、ハリスのついたエサは完全に避けたこと。まだまだナゾは果てしなく深い。

なぜか釣り師の間では、眼のいいサカナという話をすると、ハリスが見えるだの見えないだのという話になってしまう。だが、落ち着いて考えて欲しいのだが、仮にサカナからハリスが見えていたとして、自分が食べようと思ったエサから白っぽい糸が見えたとしよう。はたして、この白っぽい糸がついているエサを喰うと、自分は釣られてしまうという認識があるかということである。ボクは、あまりにも擬人化しすぎた結果の考え方になってしまっていると考えている。だからハリスが見えても、釣られるという意識はない。もちろん何度か同じ体験して、学習した結果、寄りつかないほうがいいという判断は起きているかもしれない。おそらくハリスもどのように見えているかは別として、サカナには見えているのだと思う。

研究者たちの話は、たいがい人間の眼と比較して、構造がどうのこうの、性能は人間の眼よりも劣るなとという言い方になっている。でも、あくまでも生物の進化と言う点では、人間は進化の頂点的な存在であり、性能が優れたパーツを身につけているのだと思う。目に関しても、解像力や分解能は他の動物のよりも理論的には優れているのだろう。

だが、例えば、オニヤンマが飛んでいる小さなカやハエを飛びながら捕まえられるのも、人間の眼よりも理屈上は性能の悪いとされる彼らの複眼でエサの動きを捉え、そして飛びながらエサを捕まえる。ゴキブリだって、逃げる際には食器棚や冷蔵庫の隙間を見て逃げているとしか思えないような逃げ方をする。生き物は、それぞれの生息エリアで、自分の生活に適した眼を持っているのであり、必ず生き抜くために視力を駆使しているに違いないとボクは考えている。

メバルが、ハリスのついたエサを喰うときに、エサをじっと見てから喰っていたのだが、ハリスがついているかどうかを見ていたのではなく、エサとして喰えるかどうかを吟味していたのだと思う。そして口に入れて中の歯で噛んだとたん、太い軸のハリに違和感を感じて吐き出したのだろう。

というように、結局は想像論になってしまう。サカナたちが何を考え、何を感じて、どのように行動しようとしているのか。それがこと細かく解明されれば、誰でもサカナが釣れる時代となる。だが、そんな日は永遠に来ない…のかもしれない。

※釣魚考撮より移設